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三代将軍家光の時代 |
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生まれながらの将軍である家光
父・秀忠と、生母お江与は家光よりも次男の国松を可愛がったため、両親の愛を知らぬまま育つ
乳母である春日局に育てられ、祖父・家康によって後継ぎは家光と宣言される
幼い頃から母と乳母が醜い争いをしていたため、女性嫌いとなり、男色にふけるようになる
男狂いとあっては後継ぎが生まれないと心配した春日局によって、なんとか女性に興味を持ち始めるようになるのでした
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春日局 |
家光の乳母
色々わけありで乳母になるも、家光から絶大な信頼を得る
家光が将軍になれたのも、春日局が家康に直訴しお願いしたからである
そのため、春日局は大奥内において絶大な権力を持つこととなる
苦手なのはもちろん、家光の生母であるお江与
だが、お江与が死んだ後は、春日局の1人勝ちとなった
様々な手をもちいて、男好きの家光に後継ぎを生ませるべく、様々な女性をあてがう
また、家光のために「大奥法度」という法律もつくり、「大奥」をシステム化させたのも、全てこの人であります
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御台所・孝子 |
京都の関白左大臣・鷹司信房の娘
家光が22歳・孝子が24歳の時に結婚
が、政治的な政略結婚であったため、2人の仲は冷めまくっていた
さらには別居生活に入り、一人の子供を出産することなく寂しく過ごした
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側室 お振の方 |
家光は男色家だったため、1人の子供もいなかった
春日局はなんとかしなければと心配しまくりだった
さらに男色家の家光は、正室・孝子とも別居し、さらに男色にふける始末
こうして春日局らが家光の男色を何とか治そうと選んだのがお振の方であります
家光はそれでも男色にハマっていたが、とうとう34歳の時にお振の方に手を出し、長女千代姫を出産
お振の方によって、やっと家光は女性開眼したのでありました
お振の方は家光の側室第一号として大事にされた
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側室 お楽の方 |
ある日春日局は浅草観音に家光世継ぎ誕生のお参りに行きました。
そこで家光がすきそうな女性をゲットしてきたのです
それが「お楽の方」娘時代の名はおらん
お楽の父は元百姓で、江戸に出てきて朝倉家へ仕えたんだけど、お金を使いこんでしまいクビに
江戸を去り、漁師になったんだけど密漁に手をだして死刑に。
その子供達も「奴」(どれい)の身分に下げられ筑後(福岡)の立花忠茂夫人に仕えました
ですが夫人が死んでしまい、お楽の母は武士のところに嫁ぐことに
で、そのダンナが浪人となり今の神田あたりに古着屋をオープンさせたのです
古着屋の店先に立っていたお楽を、お参りの帰りにみた春日の局は大奥に入れることに
そして大奥でお楽が故郷の麦打ち歌を歌って踊ってるところを家光の目に止まりお手つきに
そして名前をおらんから「お楽の方」に変えて20歳の時にはじめての男児を出産したのです
産んだ子供はというと、春日の局にとりあげられ春日の局に育てられた
お楽は子供は取り上げられるは、産んだ後家光はお楽に興味を持たなくなったらしくほっぽらかしに
そして病気がちになり32歳で死んでしまったのです
奴隷から将軍生母と華麗なるシンデレラストーリーですが、最後は不幸でした
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側室 お夏の方 |
どういう縁があって大奥に奉公することになったは不明
とにかく身分が低かったので、将軍に御目見えすることもできないお末という役職だった
お末には御湯殿という、将軍をお風呂に入れる役目もあった
ここで物好きなお偉いさんが身分の低い女性に手をつけることが多かった
家光もお風呂に入って、お夏に体を流してもらってる時にムラムラきたらしく、手をつけちゃいました
そして妊娠し、お夏は23歳の時に次男の長松が生まれました
ちなみに家光は41歳
この長松は後の甲府宰相綱重であり、六代将軍家宣の父となります
そんなお夏のライバルがこれから↓に出てくる「お玉」であります
この2人は身分も同じようなランクだし(ビンボー)、出産したのもほとんど同じ時期なので、一生を通じて激しいバトルを繰り広げることとなるのです
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寵愛NO1 側室 お万の方 |
お万の方は京都の名門の娘でした
名を満子といい、美女で有名でしたが、なぜか尼にされてしまったそうです
満子は尼界でも出世し、慶光院の十七代院主となった
そして江戸に跡目相続の挨拶に行った際に、あまりの美しさに家光がひとめぼれしてしまったのです
満子は帰らなければいけない次期になっても、帰させてもらうことができず、とうとう還俗させられ、側室となったのでした
大奥に入ったお万の方は、美しいばかりではなく、心も優しいので、大奥で大人気に
特に家光の寵愛はハンパではなかった
が、1人の子も産むことはなかった
というのも、お万の方は公卿出身なので、男児を産み、その男児が将軍になると朝廷が何かと口を出してくるからという理由であります
そのため、万が一妊娠したら流産させるという約束をさせられてしまったのでした
家光に一番愛されたのはお万の方だと言われています
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権勢NO1 側室 お玉の方 |
お玉は13歳の時に大奥勤めをすることとなり、お万の方の部屋子(世話係り)となった
面長でのっぺりとしており、一重まぶたで、いわゆる「京美人」だったらしい
その美しさが春日局の目に止まり、色々と家光を誘惑する指導を受けることに
こうしてお玉は春日局の指導により、家光のハートをゲットすることに
そして三男の徳松(のちの五代将軍綱吉)を出産する
上に書いたお夏の方とともに、2人とも身分が低く、出産時期も同じだったため激しいバトルを繰り広げるのです
先の話ですが、綱吉には男児が1人いましたが、5歳で死んでしまいました
さらに家光の次男の綱重(お夏の方の息子)が35歳で死んでしまいました
ということで、次の将軍候補は?ということとなったのです
綱吉の甥で次男綱重の嫡子である綱豊が有力候補となりました
ここで黙っちゃいないのがお玉(この頃は桂昌院)です
「あんな女(お夏)の孫が次期将軍なんて冗談じゃないわ!」と、死んだ徳松の妹である鶴姫のお婿さんで紀伊家2代目光貞の長男である綱教をプッシュしてきたのです。
これからどうなる!?って時に、なんと肝心のお夏(順性院)が死んでしまったのでした
順性院VS桂昌院の大奥を巻き込んだバトルがやっと終焉を迎えました
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側室 お里佐の方 |
お里佐の方の出生は諸説があって、いまいち本当のことがわかっていません
が、とにかく大奥勤めの時に、家光の目にとまりました
側室になってから、素性に箔をつけるために甲府家の大老の養女になったといわれています
そして五男である鶴松を出産するも、すぐに死んでしまいました
家光死後は尼となりました
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側室 お琴の方 |
この女性は謎だらけ
どうやらお寺の娘だったが、大奥に勤めることとなったらしい
そこで家光のお手付きとなるが、「お琴の方」と呼ばれることはなかったらしいので、寵愛をうけても身分の低いままだったと言われている
78歳で死んだらしい
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